社長メッセージ

株式会社三国タイル 代表取締役社長 東 弘毅
(平成27年7月13日 記)

当社は、1960年(昭和35年)、大阪市淀川区の三国にて創業しました。
先代社長の東 輝夫が、同業者での8年間の修行ののちに、独立したのです。

当時はまだ、自動車も普及しておらず、自転車か、自転車に大八車を連結し、それを荷台にしてタイルを運んでいた時代だったそうです。

先代社長がよく話していたのは、独立時の修行先との約束で1件の得意先も持たずに独立したため、一日中、近所の建材商社ですることもなく座っていたということ。その後ようやく、お付き合いのあったタイル工事店から職人さんを貸していただき、とある工務店に10回通って、初めて仕事を頂いたのだそうです。

それが、三国タイルの始まりです。

当時の三国は、田んぼや畑、長屋が点在する田舎でした。
当社の前には、小さなどぶ川がありましたが、大雨になると氾濫し、そのたびに辺りの民家が浸水するような土地でした。

当社の並びの道端では、レンコンの量り売りが繁盛していたのを覚えています。

そんなのどかな風景の中、会社には朝6時頃から、メーカー直送の4トンや10トンのトラックが荷卸しに着き、待ち構えた社員、職方が、総出でタイルを降ろす毎日が続きました。

当社創業の4年前、1956年(昭和31年)の経済白書には「もはや戦後ではない」と謳われ、1965年(昭和40年)年末頃からは、57ケ月持続する「いざなぎ景気」が始まります。当時の住宅着工戸数も、第一次ベビーブーム世代の需要を取り込み、破竹の勢いで伸びています。こうした時代の波に乗り、この時期、当社も大きく発展していきました。

三国地区も同様に発展を遂げますが、同時に、当社の早朝のトラック騒音が問題になり、1972年(昭和47年)、現在の千里ニュータウンに社屋を移します。
当時の値段で坪20万円、220坪の土地を購入し、倉庫併設の新社屋を完成させました。まだ周りには建物も少なく、造成地が広がっていたようです。

工事専業で始まった三国タイルですが、移転後に、メーカーとの取引拡大を狙って、タイルの販売を始めました。
会社から独立した工事店さんを中心に少しずつ販路を拡げ、最終的には「販売」と「施工」が拮抗するまでに拡充していきます。

何度かの好不況を乗り越え、1980年代後半には、ご多分に漏れず、当社にもバブル景気の波がやってきました。
昭和60年から平成2年まで、売上高も最高で11億円になるまで拡大を続けました。

私が入社したのも、その頃です。

こうして四半世紀の歴史を数えた当社でしたが、バブル崩壊を迎えます。
膨れ上がった会社の体質を引き締めることは難しく、売上も減少。
住宅着工戸数の減少、世界的な不況、輸入業者による直販の拡大、インターネット通販等の従来に無い販売経路の成長などにより、平成14年には、売上高は過去最少を記録します。

その後は、同業他社からの増員による販売強化・拡大により、最悪期の状況は脱しましたが、赤黒ぎりぎりのところを推移します。

さらなる従業員の頑張りにより、平成23年、4年連続の赤字を記録したのを最後に、業績は改善。
その後、4年連続の黒字を記録する見込みとなるまでに、回復しました。

現在は、売上に占める「販売」のウエイトが、9割近い構成となっています。
また、3年前からはインターネット上に通販サイト(オンラインショップ)を設け、お値打ち品を中心に、着実に売り上げを伸ばしています。

現在は、お客様のニーズに応え、きめ細かな配送ができるよう、総勢7名(うち女性2名)の少数精鋭で円滑なコミュニケーションを取りながら、日々の業務を行っています。また、営業担当者は、商品としてのタイルの良さ、性能の高さを広めるべく、京阪神のあらゆるエリアを所狭しと駆け回っています。
同時に当社では、直庸の職方9名を武器に、お客様の目線で、お客様のすぐそばで、状況の変化に即座に対応できる体勢を整えています。

「いざなぎ景気」の時代から50年。
今後は、経年劣化による外壁の改修・補修や、タイル剥落防止のための予防施工の需要が増えてくることでしょう。
良い時代、悪い時代、さまざまな時代を乗り越えてきた過去の経験を活かし、常に時代を感じ、先取りし、お客様、お取引先様の需要に応えられる会社でありたいと考えています。

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